2022年1月31日 先回久下小学校の栴檀の木の歴史を調べた際、
2022年1月31日
先回久下小学校の栴檀の木の歴史を調べた際、資料の一つ山南町誌に谷川の道標についての記述を見つけていた。いつか探したいものと考えていた。
まずはこの道標がどこにあるのか、多分谷川の中心部であろうと見当をつけて探しに出かけた。
嬉しいことにそれはすぐに見つけることができた。
写真の道標がそれである。周りをみてもなんの説明もないが町誌の画像と同じなので間違いない。
谷川信号脇にたつこの石の道標には、左たきの 右○いくのとあるがよくわからない。
解読できそうでできない。
それを解明したくてネット検索してみてもはっきりしない。
今はどこを走っても道路標識がありカーナビがあり道先案内に困ることはないが、昔の人は、この道標を一つの目標として行きかったのであろう。往時が偲ばれる。
久下村誌によると、次の様に紹介されているので原文のまま抜粋転記する。
京・大阪と但馬山陰を結ぶ陸の要路で、また古代に開けた加古川に通じる水路の要地として開けた。江戸時代戸数380とあり郡内屈指の大集落であった。
※本誌には(氷上群志による)との但し書きがある。
この場所で、この石の道しるべは数百年という時代の移り変わりと、人々の行きかう情景をみてきたであろう。
往時の賑わいはいかほどであったか興味は尽きない。
今は用無しになって、ぽつんとここに置かれているこの状況をどう思っているだろうか。道標に話す力があるならば是非聞きたいものである。
何らかの説明文があればいいがと、一個人としては感じるところである。
京都、大阪、但馬、山陰に通じる交通の要で物資を運ぶ重要な交通拠点であったという証の道標、今、歴史の中にぽつんと置き去りにされたこの道標を、せめて谷川信号を通過するときチラと意識して探していただきたいものである。
ちなみに丹波市谷川道標で検索したが残念ながら見つけることはできなかった。
139号線、77号線の終始点という位置も興味深い。
ぴんこすずめ