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金鉱山跡登山失敗の巻

投稿日:2021年1月18日

プチ遭難の記録
11月28日土曜日
初めての金鉱採掘跡行きの結果遭難した。
まるでハイキングかトレッキングかいや近くのスーパーへ買い出しにでも行くような気持ちで、数時間後には帰宅するという軽い気持ちなので服装他全て軽い。

金屋の噴気孔跡に車を止めて入山した。
先人が目印につけてくれた目印を頼りに歩いた。

しかし、やがてこの目印もなくなり、周りが雑木林になり尾根が近い筈が一向にそれらしいものがない。
不安になりかけた頃、突然谷を隔てた向こうの山に見慣れた鉱山が現れた。


ああ嬉しと思うも、そこへ行くには谷にいったん下りて上るか、または山の中腹の道なき道を行くかどちらかの選択をしなくてはならない。

楽そうな中腹を歩く方を選んだ。
しかし、山は手強い。そう簡単ではなかった。
ここまできて残念であるが、弟は私の体力と安全を考えて引き返す決断をした。

山歩きの知識もあり慣れている弟を先頭に下山をはじめた。
くるとき赤いリボンを頼りにきたが帰り道これが見あたらない。

この頃になるとさすがに私は不安になり出した。きた同じ道を下りているような気もするが違うような気もする。この岩石見覚えがある。


引き返し始めて数十分、思えばここから遭難の第一幕がが始まっていた。

何となく見覚えがある気もするが違う気もする。
すでにこの辺りで完全に方向を間違えていたと思われる。
弟は自信があるのでどんどん歩く。まあここは信じて歩くしかない。

歩くといっても道なき道を下ったり上ったり、滑り落ちて痛い目に遭うこと数知れず。立木につかまり体を支えて歩くしか方法がない。どんなに気をつけても滑る。こける。

尾根らしき所に出るが道はすぐに切れてしまう。こんな調子で上がったり下りたりが続く。しかもまだ日中だというのに辺りが薄暗く感じる。

心細くなった頃、ここで骨折したらもう死ぬだけだなんて脅されるし急斜面をころげ滑り落ちるし最悪である。

注意に注意を重ねて歩いていたがとうとうやってしまった。
滑った際、このままでは下まで落ちると思い、足下にあった木の根元に右足裏ををつっかい棒にしてくい止めたその瞬間、
プチンと音がしてくるぶしに痛みが走った。しまった。
しかし、有り難いことに不思議と大きな痛みはなく歩けた。

歩くことしか助かる方法はないので、とにかく歩いた。
やがて先に歩く弟の声がした。

「おーい、石切場があるのでここまで人が入っていることは確かや。麓はちかいどおっ。」

その石切場の規模の大きいことと言ったら。巨大な洞穴が口を開けている。みるのも恐ろしげな洞穴だ。人工の石切場であるか、自然形成のものかそんなことを考える余裕はなかった。きっと知る人は知る有名な場所だと思われる。


普段であれば真っ先に入って探検するが、このときの私は足を止めて写真を撮るだけが精いっぱいである。気力も体力もない。

石切場の洞穴を過ぎたころ、もしここからぬけ出せないときは先ほどの洞穴で一晩過ごせばいい。夜の山の冷え込みを知らない私はそんな気楽なことを思ったり言ったりしていた。

どこへ行くのかもわからず不安はあったが、まあなるようになるさと開き直っていたとき、先を歩いていた弟の声が聞こえた。
「おーい、安心せえっ。生きて帰れるどおっ。林道へ出たどおっ。」
本当に嬉しかった。弟も私を連れた責任上ほっとしたか声も弾んでいた。

後でわかったことであるがここは何と石戸川の上流であった。私が期待した噴気孔跡の谷筋とは全く違っていたのであるが、ただ巨岩がごろごろ金屋の景色そっくりであった。

このときはここが石戸川の谷筋だとは知らず、入山した金屋の噴気孔跡に通じていればいいがとかすかな期待をした。そんな暢気なことを言っていた。
しかし、ことはそう簡単ではなかった。
ここから遭難第2幕が始まっていた。

歩けど歩けど両横も前方も山また山。確かに人が造ったらしい林道はあるが人の通った形跡は全く無い。

しかし、途中小さな橋が右へ左へと何カ所かあったが迷うほどもなく進んだ。
ところが、ある所ではたと困ってしまった。
道が二手に分かれていて、右は山の麓を行く道で、安全なようであるがしかしその先が見えないのが不安であった。
もう1つは左に行く谷筋でやや開けているし橋も丈夫そうだ。
ここは一か八か賭けるしかない。
私たちは相談の結果左を選んだ。

この道を選んだがどこへ行くんだか頼りない。どこまで歩いたらいいのか見当付かぬ不安と焦りで足取りも重たい。

1時間以上は歩いただろうか。やがて同じ林道でも車が通れるような所に出てきてここで初めて生きた心地がしてきた。みれば、乾燥してはいるがかすかに車のわだちもあったので助かったと確信した。

道なき山道を歩くことを思えばまだ何倍か楽であるがそれでもしんどい。歩く姿はよろよろぼろぼろである。しかし歩かなくては一歩も進まない。

いつ終わるともわからない不安と焦りそして疲労から心細いことこの上なし。

どれだけ歩いた頃かいきなり車道に出た。
前方からトラックが1台きた。
わたしたちの横を通り過ぎた。こんな山の中へ何しに行くんだろうと不思議に思った。軽自動車も数台通り過ぎた。

後で調べてわかったが、ここは291号線で、地図の上では大新屋とか北山へ通じることになっている。
しかし、弟の話によると、実際は車輛は通れない筈だと言う。地図上では道はあるけれど通行出来ないという箇所がいくつかありこれもそれだと言う。
私はいつかこの道を確かめようと考えている。

タクシーもないハイヤーなんてない。スマホは電池切れ。
歩くしかない。ヒッチハイクも考えたが私たちはこれだけはどうしても出来なかった。

山から抜けてはじめて出た車道が291線であったことは奇跡であった。
他の谷に迷い込んでいたら本当の遭難であった。

よろよろよたよた歩いているとやがて左前方に牧場らしき建物が見えてきた。
人の動きも感じるし、牛のなき声も聞こえる。

私は相変わらず休んでばかりでもう足は痛いわ寒いわで本当に辛い。
休みたいだけそこら辺に腰掛けて休んだがそれでも少しは歩いた。

牧場をいくつか抜け観光園を抜けるころ人家も見えだした。

ぼろぼろに疲れたころやっと土地勘があるところへ出た。
ここまでくると何となく空気感が違ってきた。

先を歩く弟が立ち止まり、なにやら用意して待っていると思ったら、
「ここまできたら一人で帰れるやろ。」
と言いながら、千円札数枚をくれて、これで谷川の駅からタクシーで帰れと言う。

このまま一緒に私のペースで歩くとしたら3時間いやそれ以上かかる。
それよりここは別行動が効率がいいという。納得。女の私では思いつかないことである。

谷川から柏原に通じる86号線福知山線に出たのである。ここまでくれば大丈夫。

私は谷川の家へ。弟は車のある金屋の噴気孔跡へ。

ここからは一人である。心細くはなかったが弟に申し訳ない気持ちで胸が痛んだ。
弟は、私の何倍もの距離を歩いて車を取りに行くのだから、私の距離など問題ではないとその思いだけで歩けた。

奥の野のトンネルこそ超えずに済んだが、それでも86号線を歩くのはきつかった。谷川の踏切まで着いたときは日もとっぷりと暮れていた。よく歩いたもんだとここでまた休憩。

明かりを落とした饅頭屋を過ぎ、岡本橋を渡り始めた頃、急に弟が気になり出したが連絡する術がない。
とにかく今は家に帰り着くことだけである。

家まで後少し。よれよれのこんな姿は見られたくないがもう限界。空き地の縁石に腰掛けて休んだ。近所の人に会わなかっただけでも幸運であった。

奥野のトンネル近くから数時間かけて自宅に帰り着いた。
わたしが帰宅してそう時間をおかずに弟が帰着した。私がいかに時間を掛けて帰ったかがわかる。
そのときの安堵感と言ったら他に例えようがない。
その日の布団の暖かさは格別。これが私のプチ遭難全記録である。

もう山はこりごりと思ったけれど、何日か経つと不思議なもので、もう1回挑戦してみたくなった。
そこで、安全な石龕寺側から再挑戦したのが12月9日(14日記載)の記録である。

十三塚側からの挑戦はまだ諦めてはいない。年内に行きたいと思い12月16日に決行した。
途中参道に、五輪塔と二丁、四丁と彫られた石の道標二カ所を確かめて、この日は安全を考えてここで下山した。

 

 


また新年に再挑戦する。
遭難の恐怖消え去り難くあれ以来赤い紐持参である。
今回も同行してくれた弟に感謝。

後書き
ここまで書き終えた今日12月25(2学期終業式)、久下小学校で焼き芋大会があり朝から地域の方々がみえて準備万端進行。私も手伝いの真似事でもと思いうろうろしていた。

ドラム缶の火が安定した頃を見はからい、私は自治会館長の竹内氏に挨拶がてら玉城城の下見の話を聞かせてもらいに行った。
なぜなら、12月14日に会長と副会長が玉城城の下見に行かれたことを清水氏から聞いていたからだ。

玉城城への行き方から城跡の状況まで運動場をキャンバスにして個人レッスンを受けることができた。ラッキー。

城と言っても今は本丸跡と物見櫓跡があったと思われる城郭跡があるだけで、よほど知識もあり慣れた人でないと識別出来ない状況であるらしい。それでも一度は尋ねてみたい所である。
話を聞けて幸運であった。
私は調子に乗り、金鉱採掘跡への道も尋ねた。

玉城城と同様、運動場をキャンバスにしてのご指導に感謝。
私が知りたかったこと全て解決した。写真がそれである。他の人にはわからないだろうが私にとっては宝の絵地図である。

快く応えてくれた竹内氏に感謝。
「また、人数が揃ったらいつか一緒に行ってあげれるで。」
という有り難いおまけまで。

 

この後、ちょうど焼き上がった熱々甘い焼き芋をほおばりながら、気分最高で次の山行きを考えていた。

ぴんこすずめ