金屋鉱山跡を尋ねて
石龕寺から奥の院そして金屋の金鉱採掘跡へと歩く
秋の気候の良い時期に、採掘跡まで登山しようと思い立ってから、秋はすでに過ぎもう景色は初冬の様子である。
今回は成功して、まずはこの登頂記が書けたことに感謝である。
今回はと書いたのは1回目は遭難に近い経験をし挫折したからである。
山をなめたおらいけないということである。
この顛末次回に詳細は書くとして、まずは今回の歩きの成功を記念しての記録である。
12月9日(水曜日)
先回金屋の噴気孔跡から入山して挫折したこともあり、今回は安全な石龕寺側から入山した。
奥の院まで800メートル(700メートルという表示もある)というけれど、高齢の私にとってはなかなかに険しい道であった。
きついつづら折れの道を休み休み登る。200メートルおきに案内板があるので励みになった。
そうこうして歩いている内に奥の院に到着。
まずは奥の院の鐘楼で鐘をつき、遠くに175号線を見て井原の里を見下ろし景色を堪能した後次の目標地の鉄塔までひと登り。
やがてひときわ空の青さが広がり明るく見えだしたと思ったら、そこはもう第2の目的地鉄塔がそびえ立つ下に出た。
なんと景色の良いこと。ここまでくれば採掘跡が鉄塔の間から見える。
さあ、あとひと息がんばろうと意気を上げる。
この鉄塔からは尾根歩きが続く。本当に歩きやすい。こんな道なら何時間でも歩けると思うほどである。
しかし鉄塔の間から見えていた採掘跡はやがて視界から消えた。
採掘跡が見えなくなり少々不安になりかけた頃、
突然目の前に金鉱採掘跡の景色が現れた。
ああこれで安心と思い歩き続けるがなかなかに到着しない。すぐそばに見えても山は偉大なり。
疲労も限界に来た時
突然採掘跡の上部が目の前に現れた。
77号線、谷川の高瀬電機店から見る景色がそのまま目の前に迫るという感じ。
しかしきてみてわかった。
見えているのは採掘跡の上部だけ。ここから下りが待っていた。もう限界に近い疲労から気持ちが萎えていくのが分かった。
しかし、ここまで来てあきらめるわけにはいかない。足の力を振り絞り、採掘跡の底面まで下った。
目的地到達。
なんとそこは、見た目、久下小学校の運動場の半分弱位の広さ(個人の感想です。)で、小さな運動会なら十分できそうな広さである。
ネット画像でみたとおりの景色が目の前にあった。朽ち果てるのを待つだけの三台の車両が哀れを誘いながらも、操業当時の活気ある様子や風景や音までもが想像できる。
来てよかったと改めて思った。
広い採掘跡を一人占めいや二人占めである。
寝転がって見上げる岩肌や山の景色の壮大さは他に類がない。
余談であるがここで食べたおにぎりとサンドイッチの美味しさは格別であった。
食後持ち帰る石を探しながら採掘跡をくまなく歩く時間は本当に楽しく充実した時間であった。
ここへ来る苦労は忘れてしまった。
しかし、来た道をまた戻るわけでもうひと頑張り。午後2時半帰路についた。
帰りは同じ道を通る。(十三塚へ下りる道もあるらしいが、先回の遭難から学び安全第一の策をとる。)来るときに比べたら楽であったが、それでも昔のように跳んで走るほどの力もなくゆっくり下山した。
1回目であわや遭難?まがい。プチ遭難に近いと今は笑って言えるが。
11月28日(土)このときの疲労がたたり寝込んだ。
12月 9日(水)2回目で成功
3回目は十三塚から登る計画を立てるほど元気になった。
1回目も2回目も、もう山はこりごりと思ったけれど、人間というものはつらいことは忘れるようになっているらしい。
3回目を年内に行けるよう計画している。
1回目も2回目も同行しカメラマンも引き受けてくれた弟に感謝。
ぴんこすずめ