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私のおくどさんあれこれそして食べ日記

投稿日:2020年7月13日

私のおくどさんあれこれ
そして私の食べ日記

昭和30年頃まで、ほとんどの家庭には「くど」というものがあり、それは、かまどの奥に煙突が付いたもので、京都では、かまどをおくどさんと言っていたようです。つまり、かまどとおくどさんは同じものを指しているといわれています。かまど口へ木っ端や枝葉を入れて燃やし煮炊きをするのです。今ではもうほとんど知る人もいなくなりましたが。

昔話の定番「おじいさんとおばあさんは山へ柴刈りにいきました。いや、おばあさんは川へ洗濯にいきました。だったかな?」まあ近いもので、柴刈りは大切な仕事の一つでした。私の家だけでなくどこの家庭も似たようなものだったと思います。

私の家のかまどは焚き口が三個連結していて特大、中、小の径の違う鍋を、用途によって使い分けをしていました。そのかまどの焚き口の前には座って火の番ができるように造りつけの横長の台座がありました。十分な広さがあったので子どもはそこで遊ぶこともありました。
寒い朝は、私たち子どもが寒くないようにと、母や祖母が綿入れの着物の背中の部分を、かまどの火で暖めて着せてくれたし、ときには誰かの膝の上に置いてくれて昔話をしてくれたりそこは子どもにとって幸せな場所でした。地方によっては囲炉裏というものがありますがちょうどそんな役割も少し果たしていたように思います。
今はすべて文化的な生活になりこのような生活は思い出の中だけのものになってしまいましたが。

都会の人たちはどうしていたのか、昭和30年代、はじめて大阪の親戚の家にいったときのことです。
四角くて茶色の大きな箱に、銅色の取っ手がついた金庫のような箱がありました。開けると中には大きな氷の塊が入っていて、中はひんやりしています。それが私がみるはじめての冷蔵庫でした。氷は氷やさんが毎日配達に来ました。地方の農村と都会との生活文化の差は大きなものでした。

都会ではガスが普及していました。私の家ではまだ七輪も使っていた頃なのでその差は大きいです。プロパンガスが来たのはだいぶ後のことです。
いずれにしても、地方と都会にはこのように大きな生活文化の違いがありました。

前置きが長くなりました。
そんな懐かしい「おくどさん」の名称は、父母や祖父母が暮らした姿や自身の記憶などを思い出すきっかけとなりました。
数年前に谷川に来た私は、「おくどさん」の存在を知りましたが、一人では行く機会もなく長い間の時間を過ごした。しかし、ようやくその機会がやって来ました。
その折りのメニューは、トースト、ゆでたまご。野菜サラダ、コーヒー、デザート付きで300円でした。

その後コロナで長く休止していました。そして迎えた再開のこの日

▲熱々の白いご飯に、鶏肉とたまねぎに卵が半熟状態で絡まり、               そこへ青ネギの鮮やかな色と香りが五感をくすぐる。

2020年6月8日(月)
おくどさんの再開メニュー親子丼

最初の一口ほおばる。鶏肉がジューシーだ。画像でみての通りネギがちょっと生で大きいかなとは思ったが、もうそんなことはどうでもよくなった。甘すぎず辛すぎず絶妙な味加減。
たくあん漬けが三きれ付いてきて300円。
それにしてもたくあん漬けというものは、なんでこんなに親子丼に合うんだろうか。?

6月15日(月)
今日は6月第3月曜日

 

カレー

第三月曜日の定番だそうで、子どもも大人も食べられる人気メニューであると聞いていた。付け合わせは、たくあん2切れ、ゆでたまご半個、キュウリ2切れ。

6月29日(月)

チャーハンとデザート(レモンゼリー)
見た目も鮮やかたまごチャーハン。
よい味に仕上がっている。一緒に行った友人が、
「ええ味付けでおいしいにつくってありますな。」
とコメント。付け合わせは甘酢生姜のみ。
デザートにレモンゼリーが付く。甘酸っぱくてさっぱりと美味しい。食後のデザートって特別感があっていい。麦茶は飲み放題。私は何杯もおかわり。

この時間帯7人の客がいた。コロナの影響で静かだ。
前の席の二人に小声で聞いたら、毎回きているのだそう。

おくどさんのスタッフがこの常連らしき二人に話す声が聞こえてきた。
「もう少し待ってもらったらメニューが今より豪華になるので期待して。」
と。

ピンコすずめ