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体育の時間、川で泳いでいた時代があったなんて知ってた?

投稿日:2022年10月17日

続・命ふだ その2

体育の時間、川で泳いでいた時代があったなんて知ってた?

先回、「命ふだ」を題材に、昭和30~40年代初期の川遊びの様子について、学校の授業の現場ではなく、地域の子どもたちに焦点をあてて書いた。

思い出してみれば、地域で川遊びをしていたこの時代は、各学校現在のようなプール施設がある学校は多くはなかった。

しかしである。そんな時代この久下小学校の子どもたちは、学校の授業としてこの篠山川の岡本橋下辺りを水泳の学習の場にしていたという。なんと羨ましいことか。地の利、川の利の条件はもちろん行政や地域の理解があってのことだと思う。

昭和40年代始めには、まだ隣の大きな学校のプールを借りたり、一つのプールを複数の学校で共用したりということがよくあることであった。
これらは移動や準備でそれなりに時間がかかり大変であったが、子どもたちにとっては大事な学習の場であった。

そんなことからもわかるように、学校近くの川での久下小学校の水泳指導は、他にあまり例がないほど恵まれた環境であることは間違いない。今はどの学校にも「学校プール」が併設されている。

今の川の様子は水の流れる位置も幅もずいぶん変わってしまったが、当時は川原へ下りる道もありまた泳ぐにも恰好の場所であったと聞く。ここで遊び、学習できたことは幸せなことである。

写真は篠山川、上久下橋から下流の岡本橋方角を写した景色である。いつ見てもいい景色である。

今はこのような状態ですが、当時は泳ぎが楽しめる場所でした。

おまけの話
この記事には全く関係ないのであるが、今日10月7日金曜日、久下小学校で2年生の男の子が話しかけてくれた。
そのときのやり取りが次の会話である。
「先生、夏休みの8月25日、上久下橋の上にいたでしょう。で写真撮ってたでしょう?。僕みたよ。家族で車で通りかかったとき橋の上にいたのをみたんだ。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも一緒だったのでみんな知ってるよ。」
そうあの日、私は橋の上でうろうろしていたんだから、きっと目立つことこの上なかったであろう。
「恥ずかしいなあ、そんなとこ見られてたんだ。あの日は鮎放流最終日でその取材をしていたのよ。そのときの記事が、久下自治会館のホームページに載ってるから読んでもらうと嬉しいな。お父さんに話してくれる?。」
気弱の私がここまで言えたことは上出来である。
もちろん彼は笑顔で返事してくれた。
「うん‼いいよ。お父さんとお母さんに話しとくね。」
ほんと可愛い子である。
この日はなんか心がほっこり。

次回「続・その3」では、川で溺れ九死に一生を得た恐怖の顛末を書く。
ぴんこすずめ