にわか撮り鉄で福知山線を撮る
福知山線を撮る
5月初旬、1谷川駅界隈に出かけた。
いつも確かめてみたいと思いながら素通りしていた玉巻城跡の登山口に立ち寄ってみた。しかし皆目見当つかず山の裾周りををうろうろしただけで終わった。
案内看板があるはずと思うがみつけることはできなかった。
しかし、確証確信は持てないがここで間違いない。
どの方角からみても優しき美しい姿をしている。
また改めてくることにする。
谷川踏切を柏原側へ抜けた玉巻から運よく福知山線を走る列車を撮ることができた。
緑の森から颯爽と抜け出てくる車両がなんとも恰好いい。谷川駅を出て、柏原、石生、黒井、市島、丹波竹田、福知山へと走り抜ける。その先は山陰本線に続くと考えるとなんと夢があることか。
ここ玉巻からみる列車はどれもこれも美しい。そんなこんなで眺めていると私事ながら70年近く前の情景を思い出した。
1950年の中頃まだほんの子どもだった頃である。
鳥取県の小さな湯治場で療養していた祖父を迎えに行ったことがある。
父と二人旅で春休みを利用してのことで桜満開の季節であった。
父との旅が嬉しかったのを覚えている。
その頃はこんなにスマートで美しい車両でなかった。汽車の旅は大変だった。鍛冶屋線、加古川線を乗り継ぎ谷川駅で福知山へ。福知山で山陰本線に乗り換えてからは列車がトンネルに入ったり出たりする度に大人たちが窓を開閉していたような記憶がある。のんびりした汽車の旅であった。
列車が途中の「鎧駅」で長時間停車したので、私はプラットホームに下りてすぐ下に見える海を飽かずみていたものである。
ついでながらいうと駅弁にお茶が付いて嬉しかった。お茶の容器も確か土瓶だった記憶がある。懐かしきよき時代であった。
鳥取駅に着いた頃はもう午後も遅い時間であった。
にわか撮り鉄を経験したお陰でこんな懐かしい思い出に浸ることができた。なんか嬉しい時間を過ごした。
始めは遠くから撮影していたものが、だんだん欲が出てきて次の日は線路の近く近くへと寄って行くから不思議である。撮り鉄さんの気持ちがよくわかる。
ぴんこすずめ