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谷川駅探検散策日記

投稿日:2024年7月26日

谷川駅探検散策日記
うっかりすると気づかず通り過ぎてしまう。

谷川駅の恐竜の親子だ。よーく観察していると可愛さが伝わってくるから不思議である。この親子からちょっと目線を上げるとと観光案内図がある。


見どころいっぱいで改めてびっくり。
金屋の噴気孔跡や金鉱山採掘跡の表記もある。

この金屋の噴気孔跡や金鉱山採掘跡等の案内に対応できる観光案内所は今はない。誠に残念至極。

私は駅舎正面向かって左側の恐竜の親子の足元にある寺坂道参道の案内看板をみて思う。

タクシーで巡る方法が無難であるがしかし、石龕寺奥の院への近道である寺坂道なんてことになればかなり難しい。よほど詳しい案内人でもなければ難しいだろう。
まず登山口まで行けたとしてもそこから先は難しい。

実際私のように遭難するのが関の山でやはりこの山に詳しい道案内人がいないと危険である。(プチ遭難の記に詳しい)

谷川町誌には、寺坂参道からの奥の院参りが昔の人々にとってどれほど大切かつ大変だったかが記録されている。
人々は大晦日の晩から早朝にかけて、金屋の十三塚近くのこの寺坂参道口から石龕寺奥の院までを歩いて登るのであるが、親戚や親しい仲間あるいは家族で町石(チョウセキ)と提灯の灯りを頼りに歩いたということからそれが頷ける。

町石とは石龕寺境内から大体百メートル毎に建立された五輪の塔の形をした道標である。町石卒塔婆と言い寺社への参道の道しるべであったという。
寺坂道や岩屋道には写真のように残っている。現在25基が確認されていると言う。

 

しかし寺坂参道の大半の道標は今は長い年月の間に風化し今現在あるのも極わずかで、壊れたり散らばったりまた一か所に集められたりしているのが現状である。
金屋の十三塚も今は昔の形状を保たず荒れているのをみれば、道標の卒塔婆も長い年月による風化も頷ける。
惜しい事だと思う。

 

 

 

 

今回谷川駅の恐竜の親子や観光案内看板を見たが、駅構内の様子やJR鉄道地図入り切符運賃表をみるのもまた楽しい。
少し昔までは駅売店キヨスクがありここでお土産を買うのも楽しみのひとつであったが今は昔の話である。今は時代にあった楽しい場所に変わりつつあると聞く。
帰り際恐竜の親子の像に挨拶。私の希望を言えばもっと広いスペースにのびのび置いてやりたいが。

もともとは広いスペースであったであろう場所は今は周りから押し狭められてなんだか窮屈そう。
この恐竜の親子にもきっと私の知らない歴史があるのだろう。
誰の発案でまたその思いは何だったか。知りたいことはたくさんある。

さて6月7日自治会館発信初動画の山椒魚がなぜかこの恐竜親子にだぶって見えるから不思議だ。可愛いらしいの一語に尽きる。
あのさん山椒魚元気に暮らしているだろうか。
動画は新鮮でよかった。

ぴんこすずめ