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山南町久下地域に伝わる風習「おじゅん」って知ってる?

投稿日:2022年6月13日

山南町誌の年中行事の頁に興味深い記事を見つけた。
「おじゅん」という昔の風習についての解説である。
これは是非年長の方にお聞きせねばと、谷川に住まいの方に尋ねてみたが誰もが知らないし聞いたこともないという。
そこで町誌から得た知識をここで簡単に説明するとおよそ次のような内容である。

少し前の時代まで、冠婚葬祭等は自宅でお客を料理でもてなす風習があった。
他家での会食は遠慮がつきもの。折角の馳走を出しても空腹状態でお帰りいただいては申し訳ないと、宴終わりの頃に白いごはんを超大盛りにして客に勧める。客はそれを食べ切らないと帰れないのである。
それを忘れたり知らなかったりして、宴途中に好きなだけ馳走を食してしまうととんでもないことになる。
お客は自分の腹と相談して、ほどほどに飲食の調整をしなくてはならない。
ということである。

腹満ち足りて帰っていただくという昔の人の配慮の行き届いたもてなしに感心しきり。
宴席で出たお料理の数々はというと自宅にお土産として持ち帰る。家で待つ家族にもお楽しみがあるというわけで最後まで行き届いている。
でも今はこのような風習は皆無に等しい。

今の時代は自宅ではなく別に会場を借りて行うのが極当たり前になっている。
しかし私の子どもの頃は、冠婚葬祭等は自宅で行うのが当たり前であった。
そこで谷川2区にお住いの方に聞いてみた。
葬祭時は住民のご婦人方が公民館の調理場で賄いをしていたという。今の90代、80代、70代の方がまだ若き頃の話である。
先輩方に教わりつつ大鍋で何種類もの定番の料理を作り会食していたと聞く。
それがまたコミニュケーションであったり情報交換の場でもあったと聞く。

それより更に昔、昭和30年代頃までは、どこの家庭でも黒や朱塗の漆器のお膳組の他に酒器や瀬戸物の大小皿がその家の規模に合わせて数十人分揃えてあった。行事毎に出してはまたしまうことが女性たちの仕事であった。さぞや大変な仕事であったろうと察せられる。

個人的な話をすると、私が特に印象に残る仕事の一つに、「汁つぎ」なんていうことがあった。ついでながら道具の名も「汁つぎ」であったように記憶する。
注ぎ口のある銅製の鍋で持ち手にツルがついている。


私はこの汁つぎを今も便利に使っている。

その名の通り、客の一人一人に汁ものを注いで回るのである。
分かり易く言えば三人官女が持っている甘酒用の酒器があるがあれの大きいものである。
その鍋に豆腐や根菜の具入りの甘い汁ものを入れて客に注いで回るのである。
この汁ものは豆腐汁という表現がよく合うほど、豆腐だくさんの一品である。


私もこの仕事を手伝ったが結構持ち方や注ぎ方が難しいのである。子どもだから力が弱いので両手で持とうとするとバランスがくずれてどうかするとこぼれそうになる。
味は醤油であったり味噌であったりいろいろであった。汁がなくなると台所へ行って汁を足してもらう。今となっては貴重な思い出である。


もう一つ今も使っているものがある。
それは「椿皿」というお膳組のセットの中の器の一つである。


何を盛っても様になるので気に入っている。
このようにお客たちは、飲んだり食べたりして和やかなひと時を過ごす。
こんな光景はもう見ることもないが、お膳組と汁鍋は今もある。

酒器はきれいな絵が描かれていて彩色もしてあったのでよくおもちゃ代わりに遊んだものであるが、なぜか今は一つもない。今あれが欲しいものだがどうなったのか分からずじまいである。

さて、「おじゅん」の語源は不明であるが、私なりには今でいう心行き届いたおもてなしであると理解している。
ご存じの方があれば是非に話を伺いたいものである。
盛られたご飯を一生懸命に食すお客方の心意気やざわめきが伝わるようだ。
よそのお宅ではどんなお料理が出されていたのか、私の興味は尽きないのである。
ぴんこすずめ