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山田川、大南橋周辺のホタル観察日記

投稿日:2020年6月8日

この辺りでは、今が1番ホタルが綺麗に見えます。

ホタル観察日記

2020年5月25日(月)

山田川でホタル発見、数匹が、ゆらりゆらりと川岸の草むらの上を飛んでいる。思わず足を止め見入る。川面に光が映りこみ美しく幻想的な景色である。いつまでみていても飽きない。

2020年5月26日(火)

今夕の雨で気温は低めである。夜遅くホタルはどうしただろうかと見に出かけた。みつけた。昨日と変わらずゆらゆらと光が飛んでいる。帰り道、民家の垣根の樹木の葉陰で休むホタル発見。ごめんよ。ちょっと掌にのせてみる。
子どものころ、麦で編んだ虫籠に入れて遊んだことを思い出した。

2020年5月27日(水)

今日も暗くなるのを待ってホタル鑑賞に出かけた。今日は昨日より川上に行って見た。川の中の草むらがホタルの光でいっぱい。ほんとに美しい。ゆらりゆらりと飛んでいるホタルも多い。この景色に感動する。まだ時期が早いと思っていたがこれほどたくさんのホタルが活動していることに驚いた。5月のいつ頃から飛び始めたのかわからないが6月中旬まで観察してみよう。

大南橋から下流側 この草むらにホタル多し。
    草もむやみに刈り取らず残す配慮をしている。(地元の住民談)

豊かな水量である。

5月28日(木)

今日のホタル昨日より多く、土手草むらに無数。

5月29日(金)

今日は辺りがようやく見えるくらいの時間帯に出かけた。少ない。しかしよくみると、川面に近い草むらにぽつぽつと明かりが点滅している。飛び始めるのは暗くなってかららしい。

5月30日(土)

今日は最高のホタルが鑑賞日である。ホタル見物の家族連れもいて賑やかである。見学にきていた人がいろいろ情報をくれた。5月8日がホタル初出現のこと。年々ホタルの出現は早くなっていること。ホタルは下流から順に上がってくること、私が姫ボタルと思いこんでいたのは実は平家ボタルであったこと。川蜷という貝が豊富に生息しているということ。水源も首切り地蔵さんのある山に端を発していること。山の保水力偉大なり。

5月31日(日)

午後9時過ぎ肌寒いがホタルの観察に出る。昨日と比べると非常に少ない。遅い時間帯ということと気温が低いことが影響しているのか。

6月 1日(月)

午後8時観察 昨日に比べると少ない。だんだんと川上の方に移動しているんだろうか。道はまだ続いているがここまでにする。暗いので怖いし危険。後日改めて車で首切地蔵近くまで行ってみようと思う。まるで、ホタルの追っかけ?。

6月 2日(火)

20時 蒸し暑い。こんな日はホタルは快適環境で元気か?今から観察に行く。外は涼しく快適。ホタルも多い。乱舞という表現が合う。

6月 3日(水)

21時ホタル観察。今日は上空まで飛んでる個体が多数。民家の軒下まで来ている。

6月 5日(金)

今日はなぜだろう?。道ばたの民家の樹木の地面近くにたくさんのほたるが群れている。手で簡単にすくえる。飛んでいるほたるも簡単にすくえる。全体にほたるの数が多い気がする。蒸し暑いが外はひんやりしている。21時。

6月 6日(土)

今日はいつもより少なかったが変わった様子を見た。ほたるが上空で宙返りしたように見えた。よかった。それと民家の樹木下にかたまって多数匹いた。
タルをみに来ている人、数組あり。

 

今年のホタルを見て

山田川が篠山川に合流する近くに住む私は、2020年5月25日~ほたるの鑑賞を楽しんだ。地元のほたる愛好家の人によると、5月8日が初出現の日だと言う。それからすると私はずいぶんと遅い方であるが、それでも長い間楽しませてくれた。

この鑑賞で知ったことは次の通り。
①私が姫ほたると思っていたのは実は平家ほたるであったこと。
②下流から上流にかけて順番に羽化すること。
③その下流のほたる初出現がが5月8日であったこと。
④ほたるのために川床を作り、また、ほたるの休憩場所として草木を残していること。
⑤羽化の時期が年々早くなっていること。
⑥ほたるの幼虫が食べる川蜷が豊富に生息していること。
⑦水源が首切り地蔵のある山々に端を発しており、その山の保水力が水量豊かな源だ  ということ。

時も場所も違うが、私の記憶の中のホタルというものは、5月の中旬辺りの麦刈りの終わる頃、夕暮れを待って、兄弟や近所の友達と出かけたことである。出かけると言っても家の近所を回るくらいのことである。
まだ整備されていなかった小さな川のそばを歩き、走り、のどかな情景であった。
「ホーホーほたるこい あっちの水は・・・・・」とそれぞれに歌いながら、ほたるを追うのであるが、ほたるも可哀想なことであった。

年齢層さまざまの、この小さな集団には必ずリーダーがいて、そして何らかの特技がある子が多くいたように思う。お互い認め合うところがあった。自然に大きい子が下の子の面倒をみるのもごく自然であった。ほたる狩りのとき、この中の一人が麦の軸で上手にほたる籠を編んでそれを教えてくれた。器用な子はその場でみよう見まねで作ってしまう。私はというと作りたいという気持ちはあるがそれがいつも中途半端に終わる。その半ば作りかけの駕籠を持っていつか上手に作りたいものと思っていた。
しかし上手になる前に、いつの頃からかそんな時代は終わっていた。今、ほたるを観賞に出かけて思いがけず、昔の子どもの遊び形態を思い出す時間となった。あの時の子どもは私を含め、もうみんな老境の域にあるのがなんだかおかしくもあり寂しくもある昨日今日である。

 

記:ピン子雀