久下の宝ものAtoZ[R]&こどもかるた「歴史街道 久下氏と玉巻城」

久下の宝ものこどもかるた『歴史ある 久下のお城 玉巻城』

久下の宝ものAtoZ[R]歴史街道「久下氏と玉巻城」

玉巻城は久下小学校から北の方向にある八幡山(標高250m)の頂上にある。久下氏の先祖、久下重光は源頼朝の平家との戦で手柄をたて、丹波栗作郷(久下・上久下)の地頭職を命じられ、承久3年(1221年)に重光の孫、直高が関東から移り住み、その4代あとの久下弥三郎時重が玉巻城を築いた。

久下一族は一貫して足利尊氏につくした。尊氏が九州方面に下るとき、あるいは観応2年(1351年)1月、弟の直義との戦いで敗れたときなど、息子の義詮(よしあきら)と丹波に来て時重の館に泊まったりした。また、敵の攻撃を避けるため、分散して岩屋の石龕寺(せきがんじ)にも宿泊した。久下氏の最盛期は5代時重から10代重国に至る、14世紀前半から15世紀後半にわたるおよそ百数十年である。

戦国期、明智光秀の二度の丹波攻めで、6月に篠山八上城、8月に黒井城、和田の岩尾城もこの年に落城。玉巻城も播磨から侵攻してきた明智方の丹羽長秀の軍に敗れ、天正7年(1579年)5月に落城、城主重治は自刃して城と運命をともにした。