2021年3月久下小学校センダンの木
2021年3月久下小学校センダンの木
グランドゴルフの帰り道、
「あっこさんなあ、久下小学校にセンダンの木があるやろ。あの木なあ、僕が今75歳やけどな、1年生入学したときから今みたいな大きな木やってな。」
津瀬氏のこんな話がきっかけで、この度久下小学校の栴檀の木を調べてみようと思い立った。季節は春になっていたがまだまだ寒い。
今度改めて詳しい話を聞かせてもらうという約束をした。
しかし、話を聞かせてもらう約束をしたまま数ヶ月経過。
コロナで百歳体操もグランドゴルフも一時中止になりインタビューの機会は自然と流れてしまっていた。
そんなことから、私はまずは学校の「センダンの木」を知ることから始めた。
写真の通り幹の中程が大きく裂けて大きなうろになり、そこに養生のためであろう芯材が入り補強してある姿が痛々しい。幹周り約400センチメートル高さ約18メートル。
かの太平洋戦争末期、加西市の鶉野(うずらの)飛行場から沖縄戦へ向けて神風特別攻撃隊「白鷺隊」63機が飛び立った。この木を目標に飛来旋回し、故郷との別れを惜しんだということからも、すでに当時からこの辺りで一際目立つ目標物であったことが伺える。
久下小学校の創設から145年、明治、大正、昭和、平成、令和と学校と共に生きてきたこの栴檀の木の歴史を改めて想う。
久下村誌によると、久下小学校は明治7年2月に44坪からの開校とありこの日が創立記念日になっている。
明治16年には2階付き117坪の校舎を新築とある。更に同35年12月8日校舎を増新築した。それが今の小学校の基礎の位置になる。
その後、散らばっていた学舎の合併や校名改称、増改築、、敷地購入等を繰り返しながら歴史を重ね、明治44年8月、新た
な校舎増築の起工竣工、同45年3月完成。
敷地面積415坪5合、教室4、校舎建坪83坪2合5勺とある。
時代は明治から大正へ。大正6年5月27日、雨天体操場兼講堂新築、大正13年4月運動場拡張を終え現在の大きさと成る。(以上久下町誌、久下村誌に依る)
久下村誌では「せんだんの木」についての情報は得られなかったが、なんと嬉しいことに
山南町誌で久下小の校舎校地の敷地図面上に栴檀の木の位置と文字を発見確認することができた。
これがその校舎敷地の図面である。
一方明治22年の久下小の校舎校地の敷地図面には栴檀の木の表記はない。
ということは、明治22年~45年の20余年間のどこかで植樹したのであろうことが推測できる。今現在それを裏付ける資料を見つけることができないのが残念である。
栴檀のように大木に育つ木の植樹は、本来運動場とかそれに代わる広い場所を選ぶもので、現在の位置にあるのは私的には不自然に感じるところもあるが、当時運動場が未整備であることを思うと、この位置を適地と定めて植樹したのではないだろうか。
繰り返しになるが、私はなぜこの場所に栴檀の木を植えたのかその経緯や当時の人々の思いが知りたかったが今のところ頓挫している。人に戸籍があるように花木の戸籍みたいのがあればと切に思った。
このことからして、センダンの木の植樹は運動場拡張前の明治明治35年~45年と推測される。よって樹齢120年は超えている計算になる。とこれはあくまで私個人の推測である。
先人がどんな思いでこの木を植樹したかはもう知る事はできないが、120年後の今、葉を茂らせ花をつけ実をつけるこの木の強さと生きる力に畏敬の念すら覚える。
さてさて前置きが長くなった。
早速栴檀とはどんな木であるか調べてみた。
《以下はネット検索による情報の一部》
①5月頃むらさき色の花が咲く。一つ一つの花は小さいがまとまって咲くので遠目にみると木全体が薄紫色に染まったようにみえる。
②9月~10月にかけてクリーム色(梨の様な斑点がある)の楕円形状の大きな実がなる。鳥は食べるが人間の食用とはならない。
③実は5つ以上食べると、嘔吐、腹痛、胃炎、呼吸停止などの中毒症状が出る。
④古来から魔除けの霊力があるとされ、処刑された罪人の恨みを消し去ると信じられていた。そんなことから罪人の首をかけたり、置き台にしたりしたので、獄門の木と言われることから忌み嫌う人もある。
⑤薬用植物で、果実(しもやけ、ひび、あかぎれ)、樹皮(煎じて虫下し、)、葉(虫除け)、種子(整腸剤に鎮痛)、等に効能ある。
⑥インドネシア原産の落葉高木で、暖地や海岸沿いに自生する。
⑦香木の栴檀はインドネシア原産のビャクダンのことを指し、センダンは特別な香りはない。どちらも花の香はよい。木は家具、木魚、象嵌などに加工する。
⑧古来、数種の呼び名がある。(アフチ、オオチ、オウチ、アミノキ)
⑨栴檀は双葉より芳し「センダンはふたばよりかんばし」とは、栴檀は苗の段階からよい香りがすることから例を引き、才覚才能のある人は幼少の頃からそれを発揮するということわざである。
⑩落葉樹である。似ている木には、なんじゃもんじゃの木、実ムクロジがある。
⑪大木になり、涼しげな葉の形状と木陰の良好な緑風を好まれて学校の校庭や並木に使われる。大木に育つが故に一般家庭の庭木に植えられるのは少ない。
⑫実は鈴なり状態で、古来より、千珠(せんだま)と呼ばれてそれがセンダンになった。
⑬果実をせんれんし(川れん子)、くれんし(苦棟子)と言い、鎮痛、虫下しに使用。
ここからは久下小学校の栴檀の木の写真記録です。落葉し寒い冬を耐えて、新芽が芽吹き始め新緑の若葉の頃より花が咲きそろうまでの記録です。
久下小学校歴史・栴檀についての知識
《下記の参考文献資料から引用》
久下村誌「上下」・山南町誌「全3巻」柏原町誌「全3巻」・戦争資料鶉野飛行場編・太平洋戦争・大東亜戦争・支那事変
その他 ネット検索
間もなく久下小学校の栴檀の木に鈴なりの実が成る季節がきます。子どもたちがこの栴檀の実で遊ぶ姿を紹介できる日も近い。
ぴんこすずめ